選定者私物の本

案内文01

出来事の「内側」 編集者・鈴木朝子

選定者

『センチメンタルな旅・冬の旅』荒木経惟

どんなに大変な思いをしているだろう、と日頃から心配している人に実際に会うことになって、どこか恐る恐るという気持ちでいたのに本人はわりとあっけらかんとしていてこちらは拍子抜けした、ということがよくあって、その度になんだ良かった心配し過ぎたな、と思ったりしていた。だけど多分そうではなくて、私が心配した人たちは、その心配事の「内側」にいた。

離婚したり、自身や家族が重い病気にかかったり、難病で入退院をくりかえしたり−−している知人たちはみんな、それぞれの事情を外から見て思い悩んだり心を痛めたりしているのではなくて、日々をその難題と並走しながら生きている。抱えた問題をも抱き込んだ毎日が日常になっているし、誤解を恐れずに言えば慣れている。だから、何事もなかった頃と現在をくらべたりしないし、どうしてこんな目に遭わなければいけないんだろうといまさら嘆くこともしない。思えば自分も、人並みには経験した大変なことの「真っ最中」にいるとき、ことさらそれを苦労と捉えはしなかった。

誰にとってもつらいのは、それぞれの事情がさまざまなかたちで解決して「内側」にいる必要がなくなり、ポンと「外側」に出てから振り向く時だと思う。自分を客観的に眺めてみる。こんな場所を歩いていたのかと気づく。よくやってたな、と半ば自分を労い、半ば愕然とする。

ドキュメンタリー作品を読むことの醍醐味のひとつは、自分が経験していない出来事の「内側」に行ってみられることだと思う。ネガティブな事情を前にして、たいへん…..と同情するのではなく、自分だったら耐えられるだろうかと無意味な憶測をするのでもなく、ただその事情のなかに身を置かせてもらうこと。そして、本を読み終わって「外側」に出てきた時の空虚な感覚を知ること。

『センチメンタルな旅・冬の旅』の「内側」にいると、こんなことがわかってくる。愛する人の命が長くないと知ったとき、街はこんなふうに見える。その人が旅立った日、見慣れた風景はこんなふうに目に映る。一緒に眺めるはずだった花の色は、こんなふうに色褪せる。この写真集は、写真家・荒木経惟さんが妻・陽子さんとの新婚旅行の様子を写した写真集「センチメンタルな旅」に、陽子さんの病気発覚直前からその死の5日後までに撮影した91枚の写真「冬の旅」を加えて発刊された。

あらすじ/『センチメンタルな旅・冬の旅』荒木経惟 1991年

写真家・荒木経惟が自身の新婚旅行を撮影した私家版『センチメンタルな旅』に、91枚の写真を追加した写真集。「冬の旅」である追加部分は、1990年に42歳で他界した妻・陽子の死の軌跡とその周辺を記録したもの。

案内者プロフィール

鈴木朝子。1977年千葉県生まれ。編集者。株式会社アピックス勤務。ふだんは企業・学校の広報媒体(コンセプトブック、ブランドブック、周年記念誌など)のライティングと編集に携わる。選書の仕事としては高校生に向けた「はじめの1冊×100」「将来を考える10冊」など。当サイト主宰。

センチメンタルな旅・冬の旅

書籍情報

『センチメンタルな旅・冬の旅』(1991年2月発刊) 新潮社から発売中。