選定者私物の本

案内文02

「“希代の天才”が誕生した理由わけ」 出版企画編集者・岡田 卓

『バードは生きている』ロス・ラッセル著 池 央耿訳

天才が歩んだ人生を記録に残した評伝本はこの世に少なくない。当たり前だが、その天才が活躍したフィールドに詳しければ詳しいほど、興味深く読み進めることができる。私にとって「ジャズ」の世界は、黒人ギタリストであるウエス・モンゴメリーをこよなく愛した父親の影響もあって、未知の分野ではなかったものの、その体験・知識はいずれも素人と言ってよかった。当然、チャーリー・パーカー(愛称:バード)の存在も知らなかった。

初めてその名前を聞いたのは20代半ば、いまから35年ほど前のことになる。当時の職場の先輩が、バードに心酔していた。飲みに連れて行ってくれると、必ずバードの話を聞かされた。卓越した技術と人間離れした集中力を駆使して、一瞬の感覚の冴えでカッコいいフレーズをアドリブで演奏すること。それは即興ゆえに毎回変わること。そして、その演奏に触れた人であれば、誰もが心を鷲づかみにされること──などを知った。

その先輩は定期的にカセットテープをくれた。もちろん、バードの演奏した楽曲をセレクトして編集したものである。お気に入りのアドリブが施された名演奏が録音されていた。先輩曰く、「同じ曲であっても、いつ・どこで・だれとセッションしたものか、演奏を聴いただけでその違いがわかる」という。まさに、日本でも有数の“バードマニア”であった。


バードの人生を描いた評伝本は何冊かある。そのなかで、『バードは生きている』を読んだのは、先輩が愛読していたからだ。何百人にものぼる関係者からの綿密な取材をもとに完成したこの本には、バードの生きざまはもとより、同じ時代を生きた多くの人々や、明暗分かれる時代の移ろいなども、きわめて丁寧かつ詳細に描かれていた。そして、希代の天才であるバードがどのように誕生したのかを、教えてくれる。

バードの母・アディーは、家出した夫をよそに毎日の夜勤を厭わず、一人息子のための教育にお金を注ぎ、音楽の才能を知ると、進学のための貯金をはたいてアルトサックスを買い与えた。この愛なくして、バードは生まれなかった。

1930年代のカンザスシティ(ミズーリ州)は全米でも有数のジャズの街で、多くの優れたミュージシャンたちが毎夜演奏を繰り広げていた。そのなかで、年齢をごまかしてジャズクラブに潜り込み、ジャムセッションをかぶりつきで見る毎日を送る、という経験がなければ、その後のバードは存在しなかった。

楽器店からリードを万引きした際、「盗みはするな。人を悪く言うな。ホーン(サックス)を離すな。良い女を見付けて、浮気はするな」という“4つの規則”を叩き込まれる。この良き師に出会わなければ、バードのその後の人生は逸脱したものになった。

時代と環境を味方に出現した“ジャズの神様”は、その後の過酷ともいえる時代と運命の変化と闘いつつ、太くて短い人生を閉じた。

あらすじ/『バードは生きている チャーリー・パーカーの栄光と苦難』ロス・ラッセル 著 池央耿 訳 草思社

モダンジャズの創造主と言われたジャズミュージシャン(アルトサックス奏者)であるチャーリー・パーカーの自伝。活動期間は1940年代半ばからわずかに10年足らずだが、彼の即興演奏におけるインプロビゼーションの独創性は、サックスのみならず多くの楽器演奏に変革をもたらしただけでなく、ジャック・ケルアックなどビート文学にも影響を及ぼした。また、麻薬やアルコール中毒による奇行もあいまって、「天才」の名をほしいままにした戦後の時代の申し子。本書は幼少期から34歳で亡くなるまでの数奇なエピソードを通して、その人物像を描き出した一冊。

案内者プロフィール

岡田卓。1958年東京都生まれ。株式会社アピックス代表。企業・学校等の周年史・コンセプトブック等の企画・ライティング・編集に携わる一方、「中国(生活文化)」「人物」「ニッポン(伝統文化×ing)」などに関する出版企画に取り組む。近年は「行動なくして前進なし」をモットーに、“凄い!”と感じた魅力的な「人」を取材し、自社のWeb雑誌で情報発信する試みに力を入れつつある。

書籍情報

『バードは生きている - チャーリー・パーカーの栄光と苦難』 草思社から1985年4月発刊。2018年現在絶版。古書店、Amazonマーケットプレイスなどで購入可能。