選定者私物の本

案内文01

「むかしの夢のつづきでも」 書籍編集者・瀧口孝志

選定者

『バードは生きている』ロス・ラッセル著 池 央耿訳

十代に夢見た「憧れの道」をいまだに歩んでいるなら、こんな幸せな人生はない。しかし、そんな幸せ者は数えるほどしかいないだろう。何年か頑張ってみたけど、結局は断念し、ちょっとは遠回りしたけれど違う道に新たな夢を描いて……、というのが大半のはず。わたしもこちら。ただ後悔はない。第一の夢に挑戦した十数年間は、文字通り無我夢中だったから。還暦を過ぎたいま、「むかしの夢のつづきでも見るか、趣味道楽だけど」なんて飲み友達の後輩に話すと、「それができるから、うらやましいですね」と嘘でも言ってくれる。まんざらでもない。またむかしの夢が見られるのは、むかし取った杵柄であるからだ。ゼロから始めるには根気が続かない年頃でもあるし。


さて、本書のヒーローはモダンジャズの創始者・チャーリーパーカー、あだ名を「バード」という。クリント・イーストウッド監督による1989年の映画『バード』が話題になったので、ご存じの映画ファンも多いはず。もちろんジャズファンなら知らない人はいない。

本書は1975年4月に翻訳されて刊行された(新装版は85年)。著者はバードの絶頂期をスタジオ記録した奇特な人、ダイヤルレーベルの設立者。書名の『バードは生きている』は、バードが亡くなった1955年3月、街のあちこちの建物や駅の壁などに標語のように落書きされた「BirdLives !」からとられている。それだけ彼の死は惜しまれ、その音楽は永遠に消えない、との思いが伝わるエピソード。バードは、多くのミュージシャンに影響を与えた天才アルトサックス奏者。どんな音楽かは文字にするよりユーチューブで聴いたほうが早いので、説明はしないでおこう。


冒頭の「ビリー・バーグの店で」で、バードの天才エピソードが披露される。たかだか20ページほどだけど、ここだけ読んでピンとこなければ、この先は読まないでもいいかもしれない。それだけここは導入部にふさわしい魅力的な内容だ。

脇役はサックスを捨てて録音機に持ち替えた男ディーン・ベネディティ。彼はバードの出演するナイトクラブを〝追っかけ〟する熱狂的ファン。バードの行く先々に録音機を持って先回りし、バードのアドリブのみを盗み撮りする人物(ほかのミュージシャンの演奏は録音しない)。ここの場面では録音禁止の店での奮闘の様子が象徴的感動的に書かれている。

本書が「見てきたように書かれた小説ではないか?」といわれる所以だけど、ディーン・ベネディティなる人物は実在しており、その行動はかなり真実に近いように思われる。ミュージシャンや多くの証言者もおり、ベネディティが盗み撮りしたとされる音源も僅かだがレコードに残されている。彼がバードを追っかけした時期は1945年から48年頃あたりで、バードの絶頂期にあたるため、ベネディティが録音したとされる膨大な音源が見つかれば「大事件だ」とまで言われていた。が、それはない、というのが関係者の定説。本書発売の時点でも、ベネディティのコレクションは噂だけで見つかってはいない、と記されている。


本編は4部構成に分かれており、ザックリと「生い立ち」「バード誕生」「天才発揮」「衰退から死まで」のような内容となっているが、これは読んでのお楽しみ。かなりの奇異なエピソードに富んだ内容だ。

好きなエピソードを一つご紹介しよう。


バードがまだチャーリー坊やだったハイスクールの頃。深夜のクラブハウスには仕事を終えたミュージシャンたちが腕を競うようにジャムセッションに集っていた。飛び入り自由の鍛錬の場であり道場だ。未熟者は容赦なく罵倒される。そこに若き高校生のパーカー坊やは挑戦した。映画『バード』でも印象的なシーンだ。しかし、坊やはこてんぱんに打ちのめされ、あげくはドラマーからシンバルを投げつけられ、場内は一瞬静まりかえり、そして爆笑、嘲笑されるという屈辱を味わう。

それからパーカー坊やは一念発起し山にこもって腕を磨く。映画『ラ・ラ・ランド』の監督デイミアン・チャゼル氏の出世作『セッション』はまさに「鍛錬」がテーマの映画で、シンバルの投げられるシーンが幾度もトラウマのようにフラッシュバックされる。この映画はパーカーのオマージュと言っていいだろう。

さて、はなしはこれで終わらない。猛特訓を終えたパーカー坊やは半年後に山を下りて例のアフターアワーセッションの場に戻ってくる。

「シンバルを投げ付けられた坊主が性懲りもなくまた来たぜ」の雰囲気漂う中で、パーカーは驚愕の斬新なアドリブを披露するのだ。ビバップという新たなジャズの誕生の瞬間でもある。シンバルを投げつけたドラマーも、嘲笑したベーシストもパーカーについて来れない。まさに場内が唖然と静まり返る場面、バードの誕生である。わたしは大いに溜飲を下げたことは言うまでもない。

本書を読んで興味を持った方には、ミュージシャンや関係者の証言・エピソードを集めた『チャーリー・パーカーの伝説』(ロバート・ジョージ・ライズナー著、 片岡義男訳 1972年)をお薦めする。


本書発売当時、わたしは19歳。ミュージシャンになりたいと思っていた。半ば諦めていたが、本書はそんな弱い気持ちを強烈に後押ししてくれた。人生の分かれ道で出会った貴重な一冊。結果はオーライではなかったかもしれないけど、若き血を沸騰させてくれた迷著であることに間違いない。

天才芸術家の伝記は、一流芸術家を目指す若者の心を惹きつけてやまない。「自分もなりたい!」という思いを沸き立たせてくれる。

その後のわたしは20代後半にさしかかってアルトサックスを押し入れにしまった。ジャズは20代半ばが能力のピークと考えていたからだ。その時期を過ぎてもスケールレベルを卒業できない状況で、さすがに観念して次の道を模索、楽器からペンに持ち替えた。しかし、諦めはしたけれど、次の道でジャズに関わるエポックメイキングな仕事(1991年)につながっていく。あの熱い時代の経験なくして出会えなかった仕事といえる。


本書の巻末にはチャーリー・パーカーのディスコグラフィーが掲載されている。マーカーをひいてあるのは、既聴か所持かを記録していたもの。

さて、「小説は奇なり」なんて言うのとは全然関係ないけれど、1990年になって、ディーン・ベネディティコレクションなる10枚組のレコード(CDは7枚組)が突然に日の目を見たのである。映画『バード』が呼び寄せた奇跡であろうか。ロス・ラッセルの表現に違わぬ素晴らしい演奏であったことを付け加えておこう。

あらすじ/『バードは生きている チャーリー・パーカーの栄光と苦難』ロス・ラッセル 著 池央耿 訳 草思社

モダンジャズの創造主と言われたジャズミュージシャン(アルトサックス奏者)であるチャーリー・パーカーの自伝。活動期間は1940年代半ばからわずかに10年足らずだが、彼の即興演奏におけるインプロビゼーションの独創性は、サックスのみならず多くの楽器演奏に変革をもたらしただけでなく、ジャック・ケルアックなどビート文学にも影響を及ぼした。また、麻薬やアルコール中毒による奇行もあいまって、「天才」の名をほしいままにした戦後の時代の申し子。本書は幼少期から34歳で亡くなるまでの数奇なエピソードを通して、その人物像を描き出した一冊。

案内者プロフィール

瀧口孝志。1955年、天童市生まれ。書籍編集者。毎朝、ブロッコリーを食し、昼は八朔かりんご、柿、トマトのいずれか、夜はアルコールを欠かさない。くすりは現在4種服薬。時代小説を読み、オリジナルの音楽を聴くナルシスト。

〈編集部追記〉
birdtakiとしての著作に『ジャズ喫茶が熱かった日々 ~おれたちのジャズ喫茶誕生物語』(ぱる出版 2015年)。
全国にある31店のジャズ喫茶マスターからの寄稿による 『おれたちのジャズ狂青春記/ジャズ喫茶誕生物語』が1991年に刊行され、この著者が24年ぶりにマスターたちに声をかけてその後の足跡を追記するかたちで2015年に発刊されたのが本書。

書籍情報

『バードは生きている - チャーリー・パーカーの栄光と苦難』 草思社から1985年4月発刊。2018年現在絶版。古書店、Amazonマーケットプレイスなどで購入可能。